【自己観察】 思考は消そうとする必要もなく、消えゆく幻想なのです。
424 :幸せな名無しさん:2013/11/23(土) 17:37:37 ID:SI.HRQ2g0

自己観察さんへ
五感で気づくのではないとおっしゃっていましたが、
自分は思考、感情を観察しながらその背景として静寂、空間、広がりを感じるのです。
この静寂、空間、広がりに自分は聴覚や身体の感覚で気づいているような感じです。

自己観察さんのレスまとめに、上記のようなニュートラルな感じ、広がりがある感じはいいことだ、
それらの感じに気づいていることが重要、と言った内容があったことや様々な目覚め関連の本からも
自分の感じている静寂、空間は正しいと思っていましたが上で自己観察さんが
五感ではないみたいなことをおっしゃっていたので少し混乱しています。
良かったらアドバイス下さい。



427 :409:2013/11/23(土) 18:20:45 ID:IMqDV4xw0

>>424
横なので邪魔ならスルーで。
五感で感じていた不幸や制限から五感で感じる静寂や空間に意識がシフトしたということは
精神的にも大変よろしい変化だと思いますが、その五感で感じるようになった静寂や空間も、
がっかりするかもしれませんが言ってしまえばやはり「外の世界」つまり幻想なんですよ。

現に、あなたは自己観察さんの言葉(外の世界)で
その静寂や空間を正しいものなのか間違ったものなのかの天秤にかけているようです。

上のほうで別の方とのやり取りでも書きましたが、
本来は気付く側も気づかれる対象も存在しないので、その静寂や空間、つまり真理の状態を
指しているのだと思いますけど、それに気付くとか目覚めるということはあり得ないわけです。
自己観察さんが「五感ではない」と書いたのもこのせいだと思います。

「五感で感じる」という認識の裏には「私が五感で感じる」という構造が必ずあり
「私が五感を使って真理をつかんで見せる!」という思いが潜んでいます。
が、先程も書きましたが本来は気付く側も気づかれる対象も有り得ないので
真理をつかむということはできません。

難しい話が続いていますが、更に突っ込んだことを言うとすれば、
あなたが潜在意識の掲示板や本などを読んで把握している「真理(本来の自分など)」は単なる幻想です。

だからハナっからそれを習得するとか理解するとか、目覚めるとか悟るとか気付くとか、
誰かが目覚めるとか自分は気付けていないとか、そんなことは存在しなかったんです。

何かに依存した鎧で身を固めるのではなく、まずは鎧は要らないと宣言してみるのです。
その時にザワザワを感じるならそれを眺めていればよし、何も感じないなら
そこからわざわざ波を起こそうとしなくてもよいのです。


429 :幸せな名無しさん:2013/11/23(土) 19:58:12 ID:aU/OsDw20

その眺める行為も五感で感じるものではないのでしょうか?
うまく伝えられないですが、それらを超えた「何か」が本来の私(?)と言う事ですか?



432 :409:2013/11/23(土) 22:25:56 ID:R5q9HgkI0

>>429
>その眺める行為も五感で感じるものではないのでしょうか?


そうです。

>それらを超えた「何か」が本来の私(?)と言う事ですか?


んー。潜在意識系の教科書的にはそれで合ってるで終わり(理屈で言えばそう)なんですけど、
個人的には「全てを超えた何かが本来の私です」ってのも大して意味が無い言葉だと感じます。

思考は思考を超えることは不可能なんですよ。
何故なら思考を超えようとするもの自体が思考だからです。

メソッドをやり尽くしても潜在意識系の知識を集めても一向に変わった気がしないのもこのせいで、
思考で「本来の私に気付いて理解しました」と言っても、思考でそれらを理解しただけなんですから
その「本来の私」も結局思考(幻想)ということなんですよ。

ですから「本来の私は全てを超えています」と聞いてなるほどそうなのかで終わるなら
それで良いんですが、それを聞いて「全てを超えなければならない」といって
思考と戦おうとするなら聞かなかった方が良かったくらいです。

とまあ独り言が長くなりましたが「何か」が本来の私っていうのは個人的にはよく分からないです。


437 :幸せな名無しさん:2013/11/23(土) 23:38:04 ID:cU.uYuQA0

すみません、もうちょっと整理させてください。
*真理は気づく側も気づかれる対象も在り得ません。
→そうですよね、本来気づかれる対象である思考が気づく側になりすましてるのだ、と
書かれてた記憶があります。

でも、そうすると昨日教えて頂いたように大雑把な感じで観察してみる、というのは
何の意味も持たなくなってしまうのでは!?となってしまいました。
観察するという行為というより、不安が沸いたら、自分のものではないという
捉え方のスタンスでいればいいということですかね。

私には恋愛に関する不安が結構凄いので、(その不安やらは)自分のものではないのだーと眺めています。
シャボン玉とか淡雪みたいに沸いては消えるのを眺める感じでやってます。
でも、そのスタンス・あり方も「真理は気づく側も気づかれる対象も在り得ません」という理論からすると
何の意味もなさなくなってしまうような気にもなりました。

昨日から自分が強いままが続いているので、もう少し訓練していこうと思います。
大好きな彼に愛されたいから、観察を続けて真理・別の領域に浸っていよう、
不安が押し寄せても関係ないのだ、そういう視点からはなかなか抜け出せないですね(笑)
自己観察さん方式は特定の願いがある人向きでないとか、そんなことはないですよね?

いつも長々すみません。
お時間のある時でいつでも結構ですので、宜しくお願い致します。



438 :409:2013/11/24(日) 00:33:28 ID:fOiq4Tks0

>>437
>大雑把な感じで観察してみる、というのは何の意味も持たなくなってしまうのでは


これはかなり核心に迫っているものだと思います。
確か観察の目的を書いた時に同じようなことを書いたのですけど、
観察自体に物事を大きく変える力があるわけではないのです。

では観察をすることで何を期待しているのかというと
「(不安などが)シャボン玉とか淡雪みたいに沸いては消える」ということに気付くこと、そしてまさしく
「そのスタンス・あり方も、(中略)何の意味もなさなくなってしまうような気にもなりました」
というある意味の「守・破・離」を体験するためです。

だからあなたは多くのことに気付いており、既に「離」の段階に居るとも言えます。
しかもこれはあなた自身、既に自覚しているようです。この部分。

>不安が押し寄せても関係ないのだ、そういう視点からはなかなか抜け出せないですね


あなたは不安などがシャボンのように消えていくということや、観察自体には意味が無い事を見抜いている。
が、なかなかそこから目をそらすことが出来ない。という状態。
まさに「離」の寸前です。

でも思い出してください。思考や感情は「シャボンのように消えていく」のですよ。

つまり「観察やスタンスには意味が無いのではないか?」も「そういう視点から抜け出せない」も
すべて、現れては消えるだけだということです。

そこに訓練も慣れも納得も腑に落ちることも必要でしょうか。
自然に現れては消えるものを消すために必要なモノはあるのでしょうか。
または、あなたが消そうとする行為は必要でしょうか。
そこに困難や無理、向き不向きは存在しえるのでしょうか。


452 :幸せな名無しさん:2013/11/24(日) 19:44:22 ID:qOCILYWI0

>>438さん、レス本当にありがとうございます。
昨夜は寝落ちしアレコレしてるうちにもうこんな時間w

不安・不満とどうしても関連付けて悩みあぐねていたけど、409さんのレスや
自己観察さんの泥団子のお話のおかげで少しラクになれました。

今が全て、がよく分からなかったのですが、今決める、今なるみたいな意味だったんですね。
不安(形の悪いシャボン玉・泥団子)が出来てしまったけど、いつでも好きな時に作り直せるよ、
その形の悪いシャボン玉や泥団子に執着しなくていいよという話が今創り出せるということかと。

ここ数日でエッセンスの詰まったことが書かれていて皆様に本当に感謝しています。
今、創っていきたいと思います。エゴちゃん心配ありがとね、って。



455 :409:2013/11/25(月) 01:30:41 ID:MlIakP960

>>452
>破・離れるは、エゴ・思考は分離で淡雪・シャボン玉のようなもので、
変えようとすべきものではない、だから放置プレイでいいよ、的な意味でしょうか?


その疑問すら現れては消えていくもの。
それらの勝手に現れては消えゆくものに「こうすればいい」とか「こう考えれば良い」という
愛したり観察したり打ち消したり知識でねじ伏せたりなどの対症療法的なものは必要でしょうか、
何故ただ現れては消えていくだけのものをありのままに出来ないでしょうか、という意味です。


431 :幸せな名無しさん:2013/11/23(土) 21:53:16 ID:zwDQlMDk0

>>427
横になるけど

>あなたが潜在意識の掲示板や本などを読んで把握している「真理(本来の自分など)」は単なる幻想です。


こ、これは一体…!?



434 :409:2013/11/23(土) 22:53:01 ID:R5q9HgkI0

>>431
潜在意識と言うと多くの人は「目覚めていない(だから不幸)→目覚める→ハッピー(願望達成)」
という公式を強く信じていると思います。が、この公式を何故そこまで信じるのでしょうか。

そもそもこの公式には根拠も何もないはずなんですよ。
ただ、根拠になりそうなものを探してきては根拠に仕立て上げて勝手に納得しているだけで、
極端に言えば「私は親指が短いからクズ人間だ」と思い込んでいるのと同じことです。

そんな考えは馬鹿馬鹿しいはずなのに「親指を長くするには」と考えるのが当然だと信じ込んで
「親指を長くするたった一つの真理」を「悟ろう」としているのです。
当然そんな真理は本来あるはずもない、まさに求めるものだけに用意される幻想です。

それを追うのが幸せなら良いんです「たった一つの真理」なんてロマンも感じるじゃないですか。
ただ、それが苦になっているのならそんな幻想投げ捨てとけばいいんですよ。

ということです。(笑)
長文ばかり投下してしまったので需要ないなら引っ込みます。


453 :431:2013/11/24(日) 20:28:37 ID:LygfEHTE0

>>434
えっと…待って、混乱してきたw
ちょっと整理させて。

「観察されるものも観察するものもいない」
「本来の私も幻想」

という事は「別の領域に浸る」とか「本来の私の立ち位置」とかって何だったの?
ただ単純に安心感やらを感じたり「何も判断しませーん」って思考の範囲で遊んでただけ?

「私」も幻想「真理」も幻想「目覚める」も幻想。
逆に幻想じゃないもの(ものって言い方もアレだけど)ってあるの?
そしてなぜあなた達にはそれが幻想だってわかるの?

幻想って言葉を私が変に捉えてるだけかな。「思い込み」とか「嘘」に近いニュアンスで捉えてるけど…



455 :409:2013/11/25(月) 01:30:41 ID:MlIakP960

>>453
先に断わっておきますが、幻想という言葉にマイナスのニュアンスを感じる方も居るかもしれませんが、
決して我々が信じている世界は空虚なものなんだよ、悲しいねという意味で用いているのではありません。

幻想という言葉をどういうニュアンスで私が使っているのかと言うと「私」とか「真理」とか
「お茶」という概念は全て「思いがそのように見せている幻のようなもの」だという方向です。

では何でお前は全てが幻想だなんて分かるのさ?という疑問には当然答えないとダメでしょうね。

その前に少し考えてみてもらいたいのですが、
あなたはこれまで思考を用いずにあなた自身を認識したことがありますか?

分かりやすい場面で言えば、あなたが熟睡しているときや試験などに没頭しているときに、
あなたが誰かに悩みを相談するときに「私はこういうことで困っているものなんですが」といっている
「普段の私」を常に認識できていますか?

分かりづらかったら今この瞬間でも確認できます。
この質問に答えてください。

あなたはどういう人間ですか?

こう聞かれたときに瞬時に働いたものは何でしょうか?
お分かりですよね。いわゆる「思考」ですよね。

上の実験に付き合ってもらえた方にはもう一目瞭然だと思います。

思考を用いないと、または思考を介さないと、
あなたは「真理」どころか「あなた自身」も認識できないのですよ。

あなたが「これこそが私だ!!」と絶対的なリアリティを感じているものも、
思考の注意がそれた途端にその形は脆く消え去っているのです。

まさに全てが「思いがそのように見せている」ものだった、
「幻のようなもの」だったということがはっきりしました。
つまり、全ては幻想だ、ということです。

・・・ご質問の答えになったでしょうか?

で、もう少し突っ込んだことも先走って書いておきます。
おそらくこう思われる方もおられるのでないでしょうか。

「この掲示板にわざわざそんなこと書いて何のつもりなの?」

ごもっともです。これ以上の的確なツッコミは無いと思います。
その通りなんです。何のつもりなの?

何のつもりでもないのです。

「この板の皆さんにお礼がしたいから?」「誰かに認めてもらいたいから?」「ちょっと知識を披露したいから?」
そんなこと本当にどうだっていいことです。単なる言い訳、辻褄合わせ、後付けです。

言うなら書き込みという現象が起こった、それだけであり「起こった」という判断それすらも消えゆくものなのです。
それは私だけがそうなのではなく、みなさんにも例外はありません。

ここに「悩みのために来た」と信じているなら、それを信じることはやめてください。
「でも私は悩みを抱えています」それすらも要りません。
「でも悩みで苦しいんです」だったら尚更信じないほうがよいでしょう。

それらは全て後付けであり、思考による辻褄合わせなのです。
あなたが消そうとする必要もなく、消えゆく幻想なのです。


またまた長くなってしまいました。今日はこれで失礼します。


2014.09.20