【自己観察】現実は常に刷新されており、自己とは実は瞬間瞬間の場面のこと
344 : 幸せな名無しさん :2017/04/23(日) 17:53:14 JT6NN9SU0

願望が叶うとか実現化を受け取るのはエゴ?



346 : 幸せな名無しさん :2017/04/23(日) 23:47:47 WapP1gvk0

>>344
エゴ=自我と定義すると、
自我とは私という感覚のことです。

個としての感覚。
普段の自分としての感覚です。
でもそれは思い込みであり幻なんです。

実現してうれしい!幸せだ!と思うのはエゴですから
受けとるのはエゴとなります。しかしエゴから離れて見てみると…

実現という現象が五感に起こる→
認識が過去と照らし合わせて「実現した」と判断する→
「嬉しい!」という思考が起こる→
幸せな感情が起こる

という一連の「現象」がここで起きてるだけです。
それを「私に起きたこと」と思い込んでるのが幻であるエゴ。

難しいですよね~w
あまり潜在意識関係ないかもw


342 : 幸せな名無しさん :2017/04/23(日) 02:39:31 gJL9Uyqc0

自分も今また実践していますが、簡単ではないですね。
ずっとエゴ観察になってる気がします。

実践して上手くいってる人のお話が聞きたいです。
以前、叶える為にやって良いって自己観察さんが仰っていました。

やっぱり地味で大変な作業なのかな。
エゴじゃない自分が中々見えないです。



343 : 幸せな名無しさん :2017/04/23(日) 03:21:22 WapP1gvk0

>>342
エゴではない私は見えなくて良いのですよ。
というか絶対に目撃することはできません。

もし五感で察知することができたらそれは私ではなくエゴです。
思考は感じることができますのでエゴ。
感情も肉体も感じることができるのでエゴ。

五感のひとつひとつ、そして思考はエゴなのです。
(正しくはエゴが投射されている現象ですが)

しかしエゴがあると言うことは、
そのエゴが活動できる「場」があるということです。

その「場」は肉体で感じることはできませんが、わかります。

感じることができるもの、それらをひとつひとつ
「これは私ではない」と徹底的に否定していってみて下さい。


最後に残った存在が本当の私です。
それはまるでルビンの壺のような発見となります。


349 : 幸せな名無しさん :2017/04/24(月) 10:52:23 ZZlZJ.4g0

>>343さん
今っておこっている現象や思考感情じゃなくてそれが現れてる
場・スクリーン・空間だよなーって思って、その場を感じるようにしてました。

それと同時に、いつもいつも思考感情に同化して、思考と一緒になって
ウンウン悩んで不安で苦しんでいる自分という現象に気づいて、
何か思考が来るたびにそれは私じゃない、関係ないってやってました。

なんか、私のやっていることそのままのことが書いてあって嬉しくて書き込みました。
と、同時に私が我流でやっていたことが間違ってないこと、すごいタイミングで
あなたの書き込みが見れたことに、世界は自分なのかもーって少し思えました!

まだまだ、気を抜くと思考と同一化してしまいますが、続けてみます。
ありがとうございました!



351 : 幸せな名無しさん :2017/04/24(月) 23:49:00 vJvbKRVo0

>>349さん
こちらこそありがとうございます。
本当の私とは世界が現れるこの場、スクリーン、空間、今、透明さです。
ですから私が世界作ってます。その方向性で間違ってないですよ。

エゴと同化して苦しいとなかなか抜け出せない時もありますが、
そのウンウン苦しんでいる姿も「スクリーンに映っている映像」
であったと気づいたとは素晴らしい。

「エゴに飲まれてる」「同化して苦しい」も思考であり映像であった。
スッと楽になり、もう何も恐れることはなくなりますよね。

また何か気づきがあったらレスお願いします!


354 : 幸せな名無しさん :2017/04/30(日) 18:43:25 reLFvcUI0

毎日自己観察して、思考や感情には気づいているし、
これは自分ではないってやり続けてるんですけど、
いつも思考や感情に巻き込まれてしまいます。

どうしたら思考や感情に巻き込まれずに自己観察出来ますかね?



356 : 幸せな名無しさん :2017/05/01(月) 00:26:39 GVxPuxGQ0

>>354
ちょっと不思議な話をすると、思考に巻き込まれていたあなたは幻想であり思考です。

「思考や感情に巻き込まれたよー」という記憶自体が思考ではありませんか?
その後悔すべき過去自体、実在しなかったのです。

幻想であったと気づいたならば、その記憶は流してしまいましょう。
もうそれ以上することはありません。

そんな苦しかった現実など存在せず、今思考に気づいているあなたがリアルです。
あとは常に記憶が瞬間瞬間に起こると思いますが、それを観るだけ。
そうすると常に今しかなく、瞬間瞬間に生まれ変わっている感じがします。


ちょっと話がそれますが、これって自愛や完璧認定にもありますよね。

忘れてた自分を愛する。
忘れてた自分も完璧である。

共通してるところがあるんですよね。
過去(エゴ)関係なく、過去に囚われず、今に戻り、
今のこの瞬間の自分を肯定するところでしょうか?
そんな風に観てみるのはどうでしょう。


357 : 幸せな名無しさん :2017/05/01(月) 12:15:51 WEtGKk0o0

連投すみません。
求められてないですが具体的に書いてみます笑

あなたの意識をよく観察してみて下さい。
意識は一瞬一瞬、せわしなく場面が切り替わっているはずです。

意識を当てていると言った方がわかりやすいでしょうか。
視覚や音に当てていたり、感触に当てていたり、思考、感情に当てていたり…
ひとつのスクリーンの中で場面がひとつひとつ常に忙しく切り替わっています。

どんどん切り替わっていて、
気づくとひとつ前の場面は存在していたのかはもう既に証明できない。
「絶対存在していたよ」という記憶さえも今さっき創られたもの。

たとえ存在していたとしてもどんどん破壊され、
どんどん新しい場面が創造されています。
場面と場面には繋がりはないのです。

「繋がっていたよ」というのもしつこいようですが、
思考であり記憶という、今創られたものです。
もう本当にその場面があったかどうかも今は不明です。

そのように現実は常に刷新されており、自己とは実は瞬間瞬間の場面でした。
この自己を観察するのです。

刷新されていることがわかったらもう過去なんかに囚われず、
過去とは断絶された常に新たな自分のつもりでいればいいということです。


願望に対して「でも」「なぜなら」「そうはいっても」と
あれこれと条件を付けてしまいますが、その条件(過去)はもうここにはないのです。
ここにはないというか、元々あったかどうかもわからない。

なのになぜかその条件(過去)を真実として採用してしまっている。
そんな自分のひとつひとつの場面をよく観察するのです。

過去は過去という「今起きた幻想」としてただ観るだけで採用せず、
今純粋に起こるやりたいことやなりたいものに向かって進めば良いと思いますね。

参考までに。


358 : 幸せな名無しさん :2017/05/01(月) 14:35:39 RS.0llpg0

>>357
アドバイス頂きありがとうございます!
それも頭では分かっているし、思考を捉えられた気にはなっていたのですが、
結局エゴと同化してしまい苦しくなってしまっていました。

そこで、音や見える物を意識するなど五感を優先しながら、
思考や感情を観察すると苦しくならずに観察する事が出来るようになりました。



359 : 幸せな名無しさん :2017/05/01(月) 19:05:48 WEtGKk0o0

>>358
いえいえとんでもないです。
なるほど、理解されている方だったんですね。
上に書いたようなことは概念ですから、
実際に集中して実践してみることが大事かもしれませんね。

私もそうですが、エゴに飲まれてしまった最中に気づき、
深い観察に入ろうとすることはけっこう労力入ります。
思考の雑木林を綺麗にしてやっと開けるというか立ち位置に戻れるというか。

これはリラックスした集中力と慣れなんですよねー。
自己観察は動きながらの瞑想とはよく言ったもんですよ。


2021.01.20